先日、大好きなおばあちゃんが亡くなりました。
先日、大好きなおばあちゃんが亡くなり、全く実感もないまま
京都に戻ったその翌日、同級生の死を知らされました。
11月に入って、全く意味不明の無性の寂しさを感じていた僕は、
母親からの手紙でおあばちゃんの体調の悪化の知らせを受けた時、
「これだ」、と思いました。
こんな時に不謹慎ですが、全く霊感も、霊体験もしたことのない
僕が、数年前に一度だけ昼間に幽霊らしきものを見たことがあり、
それは恐ろしさを感じるというよりも、何かを訴えかけている風に
思え、胸騒ぎを感じた僕は、慌てて実家に帰りました。
その時は、全く何か分からなかったのですが、数日の滞在中、
大事にしていた変わり者の愛犬ハマちゃんが亡くなり、あぁ、
虫の知らせで呼んでくれたのだ、と確信しました。その時は、
悲しいのは悲しかったのですが、それよりも愛犬の死に際に
会えたことが僕にとってはかなり大きなことでした。
おばあちゃんについては先日も書いたんですが、9月に一度地元に
帰り損ね、今月末に久々に帰ろうと思っていた矢先の出来事だった
ので、少し後悔が残ります。その虫の知らせみたいなものに気付け
なかった、心に余裕がなかった自分に多少、腹も立ちますが、無事
お葬式には出ることが出来ました。
母方のおばあちゃんなので、僕の実家からは30分ほどの洲本市
由良町という漁師町に母の兄夫婦と住んでいました。
この由良町、淡路島の中でも特有の言語を持ち、同じ島内でも
何を言ってるのか分からないくらいの方言。実際、言語の学者が
調査に来たことがあるくらいのものだそうです。
その町の雰囲気も、僕にとっては独特で、地元に帰ると必ず
ドライブに出かけます。昔と比べてどんどん景観は変わって行く
けれど、それでもノスタルジックな雰囲気と、おばあちゃんが
住んでいたと言う事実はしっかり残っています。昔は真剣に、
将来はここに住むもんだと思っていました。
お葬式の日、既に到着していた親戚達とも久方ぶりの再会。
おばあちゃんの為に遠路はるばるから、子供・孫・曾孫43人
全員が揃いました。それだけでも、「おばあちゃんの人柄が
分かるね」と、母親が呟いてました。
予想外に?!知らない間にいとこの子供がかなり増えており、
母の実家は、さながら授業参観のようなドタバタぶりになって
ました。しんみりとした雰囲気など全く感じない、素敵な時間に
さえ思えました。全員健康でこうして再会出来たのも、ある意味
おばあちゃんのお陰と、少し感謝してみたり。一同。
唯一、おばあちゃんに自分のお嫁さんを見てもらうことが出来な
かったことが心残り。結婚式に出てもらいたかったし、僕の孫も
抱っこして欲しかった。20歳くらいからこの願望は年々強まった
けれども、こればっかりは一人でどうしょうもないし、ちんたら
暮らしてきた自分のせいでもあるから仕方ない。仕方ない。
大学で、淡路島を離れてから、夏には必ず一人でおばあちゃんと
おしゃべりをしに帰ってました。免許を取り、自分のバイクで
初めて帰った時も危ないよと心配されながら、いっぱいいっぱい
話しました。誰にも気を遣わず邪魔されされたくないので、他の
家族が仕事に出てる間に会いに行ってたものです。
優しい語り口で、それでいて、しっかり的確・愛情たっぷりな
言葉の数々、全部は思い出せないけれど、僕にとって、貴重な
時間だったなぁ。子供の頃からよくしてもらっていたから、素敵な
想い出は多いけれど、大人になってからのあのおしゃべりがなけれ
ば、今回、最期に会えなかったことを真剣に後悔していたと思う。
あの夏はそうだ、松坂が甲子園で連覇した試合を一緒に見てた。
お葬式まで、時間があったので、父親と、昔おばあちゃんが
住んでいた家を歩いて見に行きました。今は、すでに亡くなった
おじいちゃんの弟夫婦が住んでいる昔ながらの素敵な民家です。
段々と新しい家が増える中、いとこの旦那さんが「ここだけ時間
が止まってるようだ…。」と感動していました。
久々に入ったその家は、まさしく思い出の宝庫。
古い水道、石造りの塀で囲まれた畑、薄暗い納屋。あと匂い。
小さい頃の楽しかった想い出が、どうしようもない懐かしさと
ともに溢れ出してきました。いとこも、鮮明に全ての想い出を
覚えており、庭にしろ、建物にしろこんなに小さく狭かったのか
と、自分たちが成長したことの再確認と、少し寂しい想いも感じ
つつ、おばあちゃんとおじいちゃんの想い出に浸っていました。
良い時間でした。
お葬式も、涙でしんみり、と言った感じではなく、家族の
笑顔に包まれた感じの、和やかな雰囲気で行われました。
もちろん、みんな悲しいのは間違いないのですが、それ以上の
温かい雰囲気を作り出してるのはおばあちゃんな訳で。みんな
口々におばあちゃんは幸せ者だなぁ、と言ってましたが、それは
間違いなくその通りなんですが、それよりも、おばあちゃんの子・
孫・曾孫であることがどれだけ幸せなことかと。そのことをひし
ひしと感じられて僕は幸せでした。
最後に笑顔でおばあちゃんを見送れて、ホッと一安心。
穏やかな気持ちで京都への帰途へついたのですが、高速バスの
車中、突然悲しい気持ちが溢れ出してきました。気が抜けたのか、
色んなことが、それこそ走馬灯の様に流れ、おばあちゃんの身の回りの世話を最後までし続けた母親が、最後は他の兄妹に気を遣って
か、控えめに見送っていたこと、おばあちゃんが僕のことを気に
かけていたこと、普段あまり感情を出さない弟が、隣で泣いてた
こと…。今は、日に日に実感が増すばかりです。
余談ですが、おばあちゃんが亡くなった当日、おばあちゃんの数少
ない、いとこも亡くなったそうです。なにも同じ日に…、と一同。
でもこれで少しはおばあさんも寂しくないねと、話していました。
何か、以心伝心のようなものでしょうか。
長々と書いてきてしまいましたが、どうも読んでいただいて
ありがとうございます。先日亡くなった同級生のことは、迷惑が
かかるといけないのであまり触れませんが、ここ数日の僕は色んな
想いに苛まれます。改めて自分のことも含め、考えるべきことは
多いと思う今日この頃。慎んでご冥福をお祈りします。